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川口居留地研究会
発祥の地としての川口
大阪の文明開化は川口居留地と造幣局から始まった。戦前において、居留地研究の先達であった高原護郎は雑誌『上方』第99号で居留地が大阪にもたらしたものとして、ホテル、洋食、精肉店、パン、牛乳、クリーニング、18番のポン水、豚屋の15番、理髪業、洋裁と洋服店、弗箱(ダラバコ)屋、鉄鋼業、中華料理店豊楽園、カフェーキサラギを挙げている。その他にも、靴下、靴、洋傘、ガス灯、玉突き、オルガン、自転車、人造水、消防、洋食器、時計、西洋ハカリ、など多種多様なものが外国人から大阪の街に浸透し、いつしか身近なものとなった。
浪花川口電信機局之図
長谷川貞信(2代目、小信)画
消防隊長をしていたC.T.ワレン
カフェーキサラギ
長谷川貞信(2代目)、『上方』第99号表紙画。
川崎造幣寮之図(長谷川貞信)
和洋旅館自由亭
『市中近傍案内』1888年より、個人蔵
造幣局から安治川口まで開通した馬車鉄道。
(『大阪港史』第1巻より)
1874年5月、造幣局から与力町・福島を経て安治川口まで続く馬車鉄道が開通した。イギリス東洋銀行出張所に貨幣地金を運搬するためのものであり、一般市民が利用するものではなかった。運搬には船を使うことが多かった。
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