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川口居留地研究会

左の写真の説明
右手の建物は大阪聖三一神学校で1915年(大正14年)まで川口にあった。また左にあるのはプール女学校の建物で、一時英国聖公会女子神学校があった。
居留地内の道路は広く、歩道が設けられている。並木は今とは違い、道路内に植えられている。(「川口居留地2」口絵より)
History
慶応4年7月15日(1868年9月1日)大阪が開港場になると欧米人たちは2週間後の居留地競売に殺到した。川口居留地は26区画、7746,5坪であり、他の居留地と比べて最も小さなものであった。1週間前に競売になった神戸居留地が3回に分けて完売したことからもわかるように、外国商人たちは大阪に期待したのである。
しかし、居留地のすぐそばに川口波止場が設置されたが、大阪湾の河口から遠く、しかも大きな外国船は停泊できなかった。すなわち港としては非常に不備であることがわかった。外国商人たちは早々と見切りをつけて神戸に移っていった。
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